2007年07月01日
食道ロウ(PTEG)をはずした
燕下障害のある妻は口から食べることに不安があった。
そこでPTEGを作り、栄養や水分の摂取する方法を確保した。もう2年半前の話である。
妻の回復の過程には、この第2の口があったから順調に食べる訓練ができたと考えている。
{大通公園のバラ:流石に時期だね甘い香りが漂い市民が憩っている}
最近ロウ口からの漏れが多くなり、痒い・汚いでストレスがたまって来た。
何よりも在宅を始めて1年経ったが、ありがたいことに誤燕の事故もなく無事に過ごすことができた。
もう外しても良いんじゃないか、口から十分に取れるようになったんじゃないかと思いが募り、妻と勝手に相談していた。
思い切って担当医に話してみたら「良いんじゃない」との評価であった。
先日無事に外し、発病以来沢山付いていた管から開放された、これでまた1歩前進することが出来ました。
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そこでPTEGを作り、栄養や水分の摂取する方法を確保した。もう2年半前の話である。
妻の回復の過程には、この第2の口があったから順調に食べる訓練ができたと考えている。
{大通公園のバラ:流石に時期だね甘い香りが漂い市民が憩っている}
最近ロウ口からの漏れが多くなり、痒い・汚いでストレスがたまって来た。
何よりも在宅を始めて1年経ったが、ありがたいことに誤燕の事故もなく無事に過ごすことができた。
もう外しても良いんじゃないか、口から十分に取れるようになったんじゃないかと思いが募り、妻と勝手に相談していた。
思い切って担当医に話してみたら「良いんじゃない」との評価であった。
先日無事に外し、発病以来沢山付いていた管から開放された、これでまた1歩前進することが出来ました。
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2007年06月27日
脳幹出血の後遺症
妻は脳幹出血を発病して4年を過ぎました、そして在宅を始めて1年です。
各部位の麻痺も改善しているが遅々たる進歩です。
●手足:右側が麻痺していてどの位置にあるか解らない、が最近のリハビリーで突っ張るコツを覚えてきた。
●目:左瞼が閉じない(何時も半眼の状態)→目が乾き痛くて涙が出る
●耳鼻:左側が詰まった感じがする。難聴の状態は少し有る
●顔面:右半分の感覚が無い
●口腔:右のほっぺを噛んでも認識しない
●平衡感覚:左手左足で身体を確保、座位保持のコツを獲得してきているが充分ではない。寝返りは左を下に横向きに寝ることが出来る。
{朝食}
食べる機能も格段と改善出来た。食べる行為は歯・舌・喉・口腔等の総合作業の結実で飲み込むことが出来る。
麻痺が有っても、飲み込む工夫は本人がするしかない。「口から食べたい」意欲が独自の技を編み出すんだな。
嚥下障害があるんだものムセはあるのはあたりまえ。苦しいのは本人。{ほかって置く}のが最善策、自分でなんだかんだ解決してきた、積み重ねになる。
{大丈夫}の声かけは親切なようだが、返事を強要するので危険な行為だ。
●水分補給:脱水症状は絶対避けたい。画像中央部の{とろみをつけた水分}を日に3杯(500cc×3)飲むこと及び3度の食事でも水分は補給出来る。で生活出来るか試している。
出来るか否かは誰にも解らない、自分たちでトライして確認していくしかない。
豊平公園のバラが咲いてきた、花たちには毎年勇気付けられている。今年もまた時期が来た。
自宅に帰ってきて1年になった。気持ちの上で(妻も私も)余裕が出てきた、慣れたんだね。
なんて妻と語り合いながらしぶとく少しずつ前進していくんだよ。
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各部位の麻痺も改善しているが遅々たる進歩です。
●手足:右側が麻痺していてどの位置にあるか解らない、が最近のリハビリーで突っ張るコツを覚えてきた。
●目:左瞼が閉じない(何時も半眼の状態)→目が乾き痛くて涙が出る
●耳鼻:左側が詰まった感じがする。難聴の状態は少し有る
●顔面:右半分の感覚が無い
●口腔:右のほっぺを噛んでも認識しない
●平衡感覚:左手左足で身体を確保、座位保持のコツを獲得してきているが充分ではない。寝返りは左を下に横向きに寝ることが出来る。
{朝食}
食べる機能も格段と改善出来た。食べる行為は歯・舌・喉・口腔等の総合作業の結実で飲み込むことが出来る。
麻痺が有っても、飲み込む工夫は本人がするしかない。「口から食べたい」意欲が独自の技を編み出すんだな。
嚥下障害があるんだものムセはあるのはあたりまえ。苦しいのは本人。{ほかって置く}のが最善策、自分でなんだかんだ解決してきた、積み重ねになる。
{大丈夫}の声かけは親切なようだが、返事を強要するので危険な行為だ。
●水分補給:脱水症状は絶対避けたい。画像中央部の{とろみをつけた水分}を日に3杯(500cc×3)飲むこと及び3度の食事でも水分は補給出来る。で生活出来るか試している。
出来るか否かは誰にも解らない、自分たちでトライして確認していくしかない。
豊平公園のバラが咲いてきた、花たちには毎年勇気付けられている。今年もまた時期が来た。
自宅に帰ってきて1年になった。気持ちの上で(妻も私も)余裕が出てきた、慣れたんだね。
なんて妻と語り合いながらしぶとく少しずつ前進していくんだよ。
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2006年12月13日
妻の機能回復:ショートスティ先にて
ショートスティ施設のクリスマスツリー
昨日妻は2泊3日のショーとスティに出かけた。
何時も、朝はあたふたと荷物を造っているのだが、ハジャマを入れ忘れた。
何時も何か忘れる、妻に注意されていたのだが直らない。
そこで、午後から施設まで届けた。
自宅に帰ってきてからこの施設も利用させて頂いて6ケ月になるが、この間2度しか出向いていない。
私も良くない家族になっていた。
施設のスタッフとのコミニュケーションも出来ていないし、ましてや、リハビリーの状況など全く判らなかった。
今回怪我の功名で出かけたが、反省することが沢山あった。
ちょくちょく出向いてスタッフとのコミニィュケーションを強くしょう。
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2006年05月27日
自分で着替えが出来るまでに回復した
妻は脳幹出血に倒れ3年になる、最近目だった進歩が有ったので書いてみる。
つい、1と月前まで寝返りさえ出来なかった。
コツを覚え、ベットに起きあがれると、色々な機能の回復が診られた。
その陰には、東洋医学治療が有ったのです。 続きを読む
つい、1と月前まで寝返りさえ出来なかった。
コツを覚え、ベットに起きあがれると、色々な機能の回復が診られた。
その陰には、東洋医学治療が有ったのです。 続きを読む
2006年05月24日
要介護度「3」になりました
妻の介護度認定時期が到来しました。
先日判定が行われ、この度役所から要介護度{3}の認定を頂きました。
前回は2年前です。療養型病院に入院していて、寝たきりを覚悟した時期でした。
この2年間の回復は正直予想出来ませんでした。 続きを読む
先日判定が行われ、この度役所から要介護度{3}の認定を頂きました。
前回は2年前です。療養型病院に入院していて、寝たきりを覚悟した時期でした。
この2年間の回復は正直予想出来ませんでした。 続きを読む
2006年05月02日
今日は妻の誕生日
妻の56回目の誕生日である
昨日まで覚えていたのだが、すっかり忘れていた。
連休の谷間で、家賃の滞納者がいて、対応に苦慮していた。
月末月初めは何かにと気ぜわしい、すっかり忘れていた。
ケーキをリクエストされていたのを夕方になって思い出した。 続きを読む
昨日まで覚えていたのだが、すっかり忘れていた。
連休の谷間で、家賃の滞納者がいて、対応に苦慮していた。
月末月初めは何かにと気ぜわしい、すっかり忘れていた。
ケーキをリクエストされていたのを夕方になって思い出した。 続きを読む
2006年04月29日
美容室でパーマをかけてきました
妻は半年ぶりにパーマをかけた。
28日札幌は暖かい日だった、4月に入り寒い日が続いていた。昨年11月に病気になってから初めてパーマを掛けたが、それ以来半年もたった。
髪の毛は伸び、毎回リクエストを受けていた。
今日がその日だった。
28日は金曜日、外泊で自宅に帰る日である。
病院と自宅のほぼ中間に美容院はある、何時もタクシーで通る路で車窓から見えていた。
車椅子を押して美容院に着いた。
スッキリした妻の話は次に記載する。 続きを読む
28日札幌は暖かい日だった、4月に入り寒い日が続いていた。昨年11月に病気になってから初めてパーマを掛けたが、それ以来半年もたった。
髪の毛は伸び、毎回リクエストを受けていた。
今日がその日だった。
28日は金曜日、外泊で自宅に帰る日である。
病院と自宅のほぼ中間に美容院はある、何時もタクシーで通る路で車窓から見えていた。
車椅子を押して美容院に着いた。
スッキリした妻の話は次に記載する。 続きを読む
2005年12月05日
今日は美容院に行きました
日曜日から外泊で自宅です
札幌は例年になく暖かく、先日降った雪もすっかり融けてしまった。
でも、降雪はもう直ぐそば」まで来ている。
今日の最高気温が3度であったが、美容院にパーマをかけにいった。 続きを読む
札幌は例年になく暖かく、先日降った雪もすっかり融けてしまった。
でも、降雪はもう直ぐそば」まで来ている。
今日の最高気温が3度であったが、美容院にパーマをかけにいった。 続きを読む
2005年11月25日
2005年11月14日
口から食べることは私達の悲願であった
先日”第3回胃ロウ研究会”出てきました
昨年の2回大会で、私は札幌S病院のY先生にであった。
妻の病状を訴えたのです『脳幹出血で倒れ今療養型病院に入院しているが、口から食べたら肺炎になると担当医が答えるのですが、妻はまだ54歳です、之からの残された人生を考えると何か方法が無いのですか』
Y先生は『意識が有るのか』尋ねた。そして『意識が有れば可能性があるね、1度外来に来て下さい』
藁をも掴む様にして私達は、札幌S病院に転院したのです。
それから1年経ちました。
妻の回復は昨年では考えられない様な進歩を遂げました。
[回復の様子を振り返り書いてみる】 続きを読む
昨年の2回大会で、私は札幌S病院のY先生にであった。
妻の病状を訴えたのです『脳幹出血で倒れ今療養型病院に入院しているが、口から食べたら肺炎になると担当医が答えるのですが、妻はまだ54歳です、之からの残された人生を考えると何か方法が無いのですか』
Y先生は『意識が有るのか』尋ねた。そして『意識が有れば可能性があるね、1度外来に来て下さい』
藁をも掴む様にして私達は、札幌S病院に転院したのです。
それから1年経ちました。
妻の回復は昨年では考えられない様な進歩を遂げました。
[回復の様子を振り返り書いてみる】 続きを読む