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ikeda49
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北海道の冷涼な気候が自分には合っている。
自然は雄大だし、食べ物は美味しい。
妻の病気を通じて、口から食べられることがどんなに人本来の機能なのか判った。

ヤフーのオークションでは北海道の名産を全国に紹介している。

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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2019年08月29日

ここ札幌に住んで50年、新たな生き方を探しながら旅を続ける

家族の介護に明け暮れたここ数年の日々だった。時期は新しい年号令和となった。
アッという間の日々で今年も半年過ぎた、季節が巡り秋を迎える。自然は本当に正直で規則正しい。
春夏秋冬と四季のはっきりした冷涼な気候の札幌は自分には合っている。 そして美味しい食材も沢山ある。

母を見送り肩の荷が下りたと思う反面、心にポカッと空虚感に襲われる
十勝の農家に生まれ豊かな大自然が私達兄弟を育んでくれた、
馬や羊、犬も家族だった、私達は牛乳で育ち学校に行ったのだよ 
新たな自分の道を開拓し前を向いて進みたい
70代に足を踏み入れた小生だが何か仕事を探したいとハローワークに行った、
北海道新聞で国も市も相変わらず障害者枠を充足していないと記事を見たから。
しかし結果は散々だった、視力に障害のある小生、障害者手帳を見て障害者枠に入れたのは良いが
紹介されたのは作業所でした、作業所にはA型作業所とB型作業所があり区役所で認定を受けてください。
体が健康だから何か役立てる仕事をしたいと思ったが制度は難しいものだね。高齢者には
泡食うことはない気長に探せば必ず小生にも出来る役割が見つかると信じています。

健康であれば出来ることです。
妻の介護をしていたときから本当にストレスがあった。
自分なりの解消法はクヨクヨしないで何とかなるから です
そして人には体と心がある:心が病んでイライラするときは考えても結論がでなく空回り、
体をくたくたになるまで使う、運動でぐっすり眠れるよ、体を休めると不思議とリセット出来るもんだよ。
そして朝昼晩の食事が基本だね、食べ物で活力が得られるから、捨てたものではない。北海道には体に良い食材が豊富にある
一日を規則正しい生活を続けることの積み重ねですねで何とかなるね。
もともと体には自然治癒力がある、自分の体は自分でガードしなくちゃならない、
自分の体と対話するとなにか見えてくるよ。

●小生の体験をすこし:今年の1月頃食べたら吐いて吐いて大変だった、
掛かり附の医師に診ていただき胃カメラの検査を受けた→逆流性食道炎で食道が爛れていると診断を受けた。
丁度母の体調が悪く入退院を繰り返したときでした、
:胃腸は心の鏡という介護のストレスで心身ともに弱くなってていたときでした。
治療は胃酸の分泌を抑える薬を飲んで回復しました。
何でも話せる懸付け医師は大事だね。これからも宜しくお願いします。


●小生は道東十勝の浦幌町の農家で生まれた。
何年か前に卒業した小中学校も統合で廃校になった。
先日友人からいただいたパンフレットにうらほろスタイルとあった
故郷を出て何年もなる人口4000人の町で普段は接点はない。
しかし札幌近郊にも沢山の浦幌町に関わる人が住んでいる。
札幌で2年に1度さっぽろ浦幌会が昨年あった。
鉄筋コンクリートの校舎がどうなったか役員に聞いてみた
「凄いことになって発信しているよ」だった
農業林業漁業の町が 今大きく羽ばたいている
詳しくは
《NPO法人うらほろスタイルサポーター》を検索してみてください。
「子供達が希望のもてる町をめざして」 
 








  

2019年08月15日

今日は終戦記念日、74年前のことは知らない。今朝のラジオ深夜便から

8月15日は戦争終結の日です
戦後生まれの小生は実情を知らない
朝のラジオ深夜便で広島で原爆投下を受け被災したNさんの証言が放送された。
大変なご苦労をして戦後を生きぬき、今七宝焼を作りNさんの思いを世界の人々に伝えている。
沢山の人が亡くなり悲惨な戦争をしてはいけない。と伝える当事者も戦後74年たち高齢で少なくなった
今生きる一人一人が思いを受け取り伝えて行く役目を負っている。
Nさんの貴重なメッセージを聞いて大きな感銘を受けました。


小生は2年前に妻を見送った、脳幹出血の病に倒れ命は繋がったが、半身麻痺の後遺症に苦しみ
燕下障害もあり当時の主治医からは「口から食べたら命に関わると」診断を受けた。
命を繋ぐためには経鼻管栄養だった。妻本人は納得できなかったし私達家族にも生きる気力が低下するように思えた
しかし本当に幸運なことに嚥下専門医に出会い診て頂指導を受けて「口から食べることができました」
口から食べることは生きること。
不自由な車椅子生活では有るものの13年もの間命を繋ぐことができました。
●私達の闘病の記録は http://www.peg.or.jp/taikenki/ikeda-3.html に掲載しています


今年高齢の母が亡くなった、担当の医師からは「高齢だから」と言われていたが、
口から食べ物を食べていたときは家族はそうは思えない。
「口から食べているうちは治療を続けてね」と何度もお願いした
育ててくれた母が一日でも長く元気でいてほしい と私達には希望があったから
口から食べ物を食べて栄養を取り命を繋ぐ生きていくために必要な要素 
それは《自分自身で食べること》ができなくなったら役目を終える時期が近いと母は考えお思いを伝えた
私達は思いを受け「育ててくれてありがとう」と静かに見送った

これが小生にとっての思い出あり命題です。《生きることで一番大事なことは口から食べて命を輝かせること》
何年も家族の介護日々に付き合ってきて、肌で感じたことです。
家族が病気になっても寄り添う(介護する家族は)正直言ってただ見守ることしかできない。いくら家族が病気と闘っていても変わってあげることはできない。
しかし側にいると病気の家族の思いが伝わってくる、
自分から生きたい、やり残したことがある との想いがあるうちは蘇る
しかし口から食べることもできなくなり「もう良いよ。十分生きたありがとう 」と
思いが伝わってきたときが命が終わるときでした。

今沢山の家族が病気の家族を見て関わり悩んでいます。
私達家族の思いが少しでも多くの人に伝われば幸いに思います
  

2019年08月08日

アイパットから投稿してみました、試行錯誤です

アイパットからも投稿できるか試行錯誤中です。何時もはパソコンから投稿していたのですが
少し行動力を広めたいと思っています。 なかなか思うように動いてくれない。 
手軽なアイパットから画像や記事を投稿できると嬉しいな。
現在画像がアップされないのでイライラしています。
段々と機能や判断力が落ちていくので 正直不安ですが パソコンとアイパットで小生なりに表現したいな。
スマーフオンもあるのだけど画面が小さく視覚障碍者の小生には不向きです なぜなら誤字脱字が多いメールを送るので
向きませんね
日々見ること感じることを→自分で出来ることを出来る範囲で表現したい。
そんな思いでアイパットから投稿してみました。
どん月な記事になるか小生にもわかりませんが投稿してみます 
池田