さぽろぐ

健康・ダイエット  |札幌市清田区

ログインヘルプ


インフォメーション


QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 38人
プロフィール
ikeda49
ikeda49
北海道の冷涼な気候が自分には合っている。
自然は雄大だし、食べ物は美味しい。
妻の病気を通じて、口から食べられることがどんなに人本来の機能なのか判った。

ヤフーのオークションでは北海道の名産を全国に紹介している。

スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2022年04月14日

今日は4月14



iPhoneから送信  

Posted by ikeda49 at 18:51Comments(0)

2022年01月24日

おくる


iPhoneから送信  

Posted by ikeda49 at 16:10Comments(0)

2021年11月10日

私達が住む北国札幌は寒くなった。

11月も後半になると市内でも降雪がある時により水道が凍結事故がある。水落としが必要な時期です

iPadから送信  

Posted by ikeda49 at 18:06Comments(0)

2021年10月25日

今日の札幌は心地良い

気温の上下はあるけれど 
爽やかです

iPhoneから送信  

Posted by ikeda49 at 15:11Comments(0)

2021年10月01日

今日から10月デスコロナも少なくなって、これから頑張って行こう

今日から10月です。ここ札幌は気温も下がってきた。
衣変えに忙しい。
先日私たちの住む清田区から連絡がきた「今まで行っていた男性介護の集まりを津ずけるかい」
小生は妻も母も見送ったので資格がないとはしたけれど。
行くことに申し込んだよ。
今年はコロナだったがこのように声をかけてくれれば、積極的に出ていくつもりです。
だって一人では生きていけないから。
自分たちの歩んできた介護の体験が少しでも役だてば良いなと思うから

iPhoneから送信  

2021年07月01日

ワクチン接種一度目を終えました

今日行きつけの病院でフアイザーのワクチンを接種してきました
一回目です
何時も行っている近くの病院なので安心して終えました。
新しい変異株に置き換わるという情報もあり、もう少し元気で過ごすたっめには
コロナウイルスに負けないような体力と気力を整えたい。
まずは一歩前進しました。2回目は7月26日に予約してきました。
  

2021年04月26日

今日の札幌は過ごしやすい日和です

日は4月26日月曜日です。
札幌は雪も解けて暖かい春の陽気です。ここ2、3日気温が低く霙が降った
季節は確実に春に向かっている。
今朝も恒例の散歩に行った、かっこう囀っていた。

近くの北野たかくら緑地は小生の憩いのスポットです。
札幌でも桜が開花したと情報が4あるので午後から近くの厚別川河川敷に行くってこよう
人がたくさん集まる密にならない場所が地元にもたくさんありますよ。
小生といえば4月から学校の日直の仕事をすることになった。何もすることが無いと身を持て余したので
正直なところ「よかった」少しでも高齢者であったも社会の役立てることが生きがいです。
土日だけの日直だけどクラブ活動の生徒や顧問の先生は出てくる。
グランドでは野球。サッカー。テニス。ラクビー等
体育館ではバスケットボール。バレーボール。卓球等では入りがある。
まだ札幌もコロナが治まっていないので工夫しながら過ごしています。
将来を背負う学生たちにも人と繋がることを学ぶことも成長過程での大きな学習だね。
どんな時にも自分で考えいろいろな可能性を選択していく所が学校だね。十分に輝いてね・
まだ始まった仕事ですが、自分なりの社会参加が楽しみです。 お陰様でこのブルグも再開できます
  

Posted by ikeda49 at 14:40Comments(0)札幌北野の風景

2021年03月10日

70代の年代を歩んでいる日常

札幌に住む小生にも3月になり少しずつ季節の変化を感じられる。
気温が高かいと道路は雪が解けてべちゃべちゃで歩きにくい、
毎年通る季節です。
コロナウイルスが蔓延し出て歩く行動を自粛しなさいと国も行政も提唱しているが。
自宅での自粛は小生には苦痛です。
その分近くの厚別川河川敷を散歩することにした。お陰様で気に入ったのが継続しています。
毎日継続することで体調も良く食事もおいしい。良いことばかりです。
仕事はない、今まで散々働いてきて、70代になった。
仕事が無いは見の置き所がないに等しい。
先日人材センターから連絡があり。4月から学校の日直の仕事が迷い込んだ。
良かったよ 日々は年金で過ごしているが
少しでも社会に貢献したいと思えども年齢の壁は大きいね
確かね同級生も何人かがあの世に旅立っている。
生まれつきの視神経萎縮で視力は出ないが何とか日常は過ごせます。
記憶も怪しいところもあるが。自分で思いの通り過ごせるが一人一人の生きていく原動力になる
と思っている。今回の日直仕事も元気な気持ちと体を維持できることで叶えられる。
  

2021年02月06日

送ります

00f78d1adc534f98@ikeda49.sapolog.com
Windows 10 版のメールから送信


  

Posted by ikeda49 at 15:27Comments(0)

2021年01月30日

今日札幌は



iPadから送信  

Posted by ikeda49 at 12:01Comments(0)

2021年01月24日

1月24日の記事

札幌は大寒中です。
気温

は氷点下で寒いが日中は日が差して暖かい
。  

Posted by ikeda49 at 15:06Comments(0)

2021年01月06日

2020年10月23日

10月23日の記事


  

Posted by ikeda49 at 12:46Comments(1)

2020年10月22日

記事が書けるかな

アイホンから投稿しましたが。
無事に届けば幸いです。
画像はまだ投稿できませんが。頑張ります
コロナウイスルスが蔓延していますが、どっこい頑張っています。ikeda49です


iPhoneから送信  

2020年01月03日

ソフィのβグルカンとの出会い

●2003年3月に妻は脳幹出血で倒れた。最初に運ばれた脳神経病院では意識があるかどうか分からない
一ケ月後気管切開で意識のあることが確認出来た。
その後本人に生きる気力と治療の効果が出て一般病棟に移ることが出来ました。
●脳幹出血の後遺症は重かった。右半身麻痺体幹の維持は出来ず、
嚥下障害もあり担当医からは口から食べたら命に関わると診断を受けました。栄養は経管栄養の流動食でした。
命は繋がったが妻の気持ちを思うとやりきれなかった。

※そんな時、縁があって知り合ったのが、乳癌で闘病中の家族を持つ友人でした。
何とかして病気の妻の病状に作用し少しでも人間らしい時間を提供したいと思う一念でした。
高知県の株式会社ソフィが提供するグルカンを飲み続けることにしました
《詳しくは株式会社ソフィのホームページで確認してください》

●その後嚥下専門医に診て頂くとができ(ゼリーで有れば食べることが出来るねの診断は本当に嬉しかったよ)
口から食べれるようになった妻。発音も良くなりみろみろ元気になった
口から食べる栄養は生きるためのエネルギーです。食いしん坊の妻(料理も好きだった)
本領発揮です。
食べれるようになり自宅に戻ることも出来ました。 
妻との自宅での日々はこのブログにアップしています。
(妻が病気になり10年、多くの人に支えられて過ごしてしてきました)
そんな妻も3年前に私達を残して天国に旅だった。


沢山の人に支えられお世話になった。今思うと感謝しかない。
少しでもお返ししようと何か出来ることがあると思い
ハローワークに行った、70代の小生には一般的には無理なんだね、
そういえば腰は悪いし目は悪い。
出来ないことを並べたって気持ちは落ち込むし身体にも良いことはない。
団塊の世代を生き抜いて来た私達には生まれつき競争する意識しか考えられない。
病気になって病院に行く前に自分の健康を維持する役目がある、まだまだ使命があるのですね 
そんな思いが実ったのかな
昨年からボランティアの仕事だけれど始めています。
無理をしないで自分らしく、今まで長い間休止していた山登りも今年は復活します。
妻と歩いた大雪の山脈を辿ることを願って。ソフィのグルカンの作用も借りて今年も頑張ります。







  

2019年12月28日

突然の不快に襲われた


12月になりました、最近時間の経つのが早いと実感している、
生活のリズムを戻すためになにか仕事をしたいと思っていた。当然フルタイムの仕事は年齢的に無理だけど。
自分にも出来る社会参加の役割あると信じている。
11月から縁があってボランテアの仕事を始めました。
週4日で約2時間の仕事だけど、誰かのお役に経っていると思うことが出来る。
利用者さんから「ありがとう」と言われるとたいした仕事もしていない心苦しい事はあるがうれしいものですね。

そして朝早いのは得意なので強いので全然苦にならない
もともと身体を動かすことが好きなので慣れるのが最高の薬です。
生活のリズムが出てきたので食事が美味しいしよく眠れる副産物も頂いている。


70代になり身体の機能も低下しているいるとおも持っている。
2月に初めてインフルエンザに罹り5日間罹った回復も遅いね
3月には逆流性食道炎に罹った、
先日友人から頂いたいずしを食べた。美味しかったが量が多く冷蔵庫で保存した
冷蔵庫なので安心していたのだが 普段食べ慣れない食材です加減が分からない。
生ものなのでアタってしまった。
口の中が酸っぱくて違和感があった、下痢で一晩中散々でした。
具合の悪いときは食べ物は受け付けなかった。
胃や腸の中の食べたものを全部排出したら元通りになりました。
小生の内臓もよく働いてくれた。
逆流性食道炎の担当医からは食道と胃の間の弁が甘いと言われていた。
良く噛んでゆっくり食べましょ。内臓の機能も年齢相当なんだね。

2019年はいろいろと有った。
もうすぐ新しい年が始まります。雪が少なくてつい最近まで自転車を乗れて便利だった。
地球の環境が温暖化移行しているのか。に自分の都合ばかりでは語れないね。
今までの四季折々の季節をこれからも過ごしたいから。
小生のも正月が来て自由の日々がある。
今日はこれからヨガ教室の納めです。そして夕方は「英語でしやべらないと」のメイパーティの予定です。
 







  

2019年11月08日

男性介護者の集い「厚別区のつどい」から


男性が家族を介護している世帯が札幌にも沢山いる、今の高齢化社会だからこそ食事については悩んでいる人が多い。
小生だっておんなじ悩みです
頭では一日3度の食事が健康を維持するためには大事なとこだと思っていても、現実には簡単な食事や外食が多くなっている場面が多い
。是非プロの管理栄養士のレシピーに触れて自分の日常時も生かしたいと参加しました。
今日、厚別区民センターであった実習。テーマは「プロが伝える男の簡単料理教室」で管理栄養士が実習してくれた
栄養バランスって、どうすれば良いの?
三色食品群で考えよう
1:「赤」グループ:体を作るもとになる 肉・魚・たまご・牛乳・大豆製品など、タンパク質を沢山含む食材。
2:「黄」グループ:エネルギーのもとになるご飯やパンいも類、油脂類など炭水化物や脂質を沢山含む食材
3:「緑」のグループ:身体の調子を整えるもとになる
野菜(緑黄色野菜・淡色野菜・類・きのこ類・海藻類・果物などビタミンやミネラルを多く含む食材、主に副食のおかずになるものです。


●実習には6種類メニューを皆んなでつくりました。
中でも自分で興味を持ち実践してみたいレシピーは。
1:かんたんオムレツです:卵2個をといて。牛乳おおさじ1、塩、こしょう少々、粉チーズ大さじ1 をポリ袋にいれて良く振り混ぜて口を縛る
 鍋で水を沸騰したら弱火にして15分湯煎する。
皿に盛り付けてケチャップで見栄えが良くなるよ。
2:トマトの中華スープ:2人分
トマト中サイズ冷凍したもの 1個
鶏ガラスープの素
水 400CC
塩・こしょう 少々
卵  1個

片栗粉 小さじ3と同量の水で 仕上げにとろみをつける

作り方:冷凍トマトを流水で皮をむき、鍋に入れます。水、鶏ガラスープの素を入れ火にかけます。
     沸騰したら弱火の中火にし、時々フォークでトマトを崩しながらトモトを煮ます。トマトを煮ている間に溶き卵をとくります。
     トマトが細かく崩れたら、塩、こしょうで味を調え溶き卵を少しずつ入れます。
     とろみをかき混ぜながら入れます。
●トマトは身体に良い食材です、冷凍して保存すると一年中食べれますね、流水で皮も簡単にむけますね、

私達の住む札幌にも手稲山1024㍍初冠雪の情報があり。平地でも雪が降った。いよいよ冬シーズンの開始です。
今シーズンの積雪が多いか少ないかはその時にならないと分からない。
厳しい時期はこれからです。自然から取れる恵みを頂いてしっかりと乗り切りたいね。
普段ラジオを聞いている小生にショッキングな情報があった
「温暖化の性か海水温の温度が高くなり将来北海道沿岸では昆布が取れなくなる?」
おでんが好物の小生には昆布は欠かせないし私達が健康を維持する上でも必要なミネラルです。
地球環境も年々変わっているんだね





  

Posted by ikeda49 at 18:54Comments(4)人の生き方考え方は

2019年10月05日

家族の役割は何だろう? 健康を維持するために心がけることは



  令和元年母の闘病記録を書いてみました


 7年前に父が亡くなった後も、住み慣れた思い出の沢山詰まった自宅で過ごすよと一人住まいをしていた母(95歳)にも老いは進んでいた。
1:脳梗塞で倒れる
平成30年2月中旬、北国札幌は一年で一番寒さの厳しい時期です、妹からの電話は「母が自宅で倒れて脳神経外科病院に救急車で運ばれた」であった、取るものもとりあえずタクシーで駆けつけた。母は治療中で控え室にはケアマネさんがいた。「今日は訪問日で3時頃訪問したら玄関の鍵が開いていて返事がない、異変を感じ室内に入ってみると母が倒れていた、妹に連絡し救急車で病院に運んだ」と心配そうに説明してくれた。
私達兄弟は母とは同居していないが時々交代で見守りをしていた。母は最近除雪が辛いと言ってソファーに横になっていたことを思い出す。
脳の病気は時間との闘いと言われている。母は処置が早かったのでお陰様で短期間で普段の入院生活を開始しました。3度の食事とリハビーリーで院内を歩けるまでに回復しました。後遺症の失語症も日々の規則正しい生活や遠くに住む弟とのテレビ電話で障害の程度も少しずつ改善したように思います。
しかし母が一番の気がかりは住み慣れた自宅です。
「何時家に戻れるの?帰りたい」と話す機会が多くなり、病院の対応にも不満を訴えるようになりました。
母の希望は住み慣れた自宅に戻りたいのです、相談員と退院後の生活について話し合うことにしました。
「高齢者の独り住まいは転倒や事故が多いから難しいよ」と相談員
 しかし、妻の在宅介護で13年もの間体験を積んできた小生には病院の提案が最善とは思えない気持ちがあった。当事者は母と私達兄弟家族の問題です。必ずお互い納得できる方法があると考えました。時期は4月になり気候も暖かくなってきた「母をつれて自宅に外出、そして1泊2日の外泊をしてみたいと病院に話をしました、その結果を考えて退院後の対応を組み立てたいと」申し出ました。急性期の病院は患者を長く入院できない理由がある。病院側も協力してくれた。病院と自宅との距離が近かったことも良かった。
2度の外出と1度の外泊を妹と2人で対応した。何よりも自宅に戻れると思う母の表情が生き生きとしていた、あくまでも主役は母なのです、母の希望を少しでも叶えることが私達家族の役目と心に刻みました。
 そしてケアマネさんをはじめ介護保険事業者との打ち合わせも終わり4月中旬に退院しました。
退院後の母の生活は自由でした「自宅はいいなぁ」何度も聞きました。脳梗塞の後遺症も思ったより軽く慣れることが一番の薬でした。ただ元々あった難聴と今回脳梗塞の後遺症(失語症)は母には堪えたようです。私達も心配でした(電話をしても安否の確認ができないし、帯広に住む叔母にも電話する機会が減りました。
私達も以前より出向回数を増やし多対応しました。

 2:正月は妹家族も集まり家族全員で自宅で迎えた。母は何時もと同じように動き回っていて嬉しそうでした。
1月末母は室内で歩くと胸が苦しいとソファに座るようになっていた、何時もと様子が違うので気に掛かったがソファに座ったりベットに横になり落ち着くと「良くなった」と室内を歩いたり食事をしたり何時もと同じように過ごしていた。
1月30日夜から胸の苦しくなる頻度が多くなり小生は泊まって様子を見た、明日は母を説得して病院に行き検査をしてもらおうと考えた。
翌日食事を食べて気替えをしてタクシーで病院に行った。この病院は小生の行きつけの病院で医師も知っているので母の症状を話したら診ていただけることになった。
心電図やレントゲン等で検査をして頂き、3時頃医師から説明があった。「心臓の働きが良くないので入院して治療をした方が良い、心臓の専門医の居る病院を紹介すると」提案してくれた。
 母は外来のベット上で点滴をしていたが「自宅に帰りたい入院の用意をしてないので自宅に帰りたい」。更に担当医は続けた「自宅に着く前に心臓が止まることもある」と説得して頂き病状の重大さを認識しました。
 母が今までと同じように住み慣れた自宅で過ごせるのであれば専門医に診て頂こうと母と話した。
転院先の病院でも検査がありICUの病床に落ち着いた。
 担当医F医師は「心臓の働きが悪いので肺に水が溜まり呼吸が苦しくなる、治療をするからね」と話してくれた。
昨年の脳梗塞も今回の肺気腫も原因は心臓の働きが悪い心不全が原因と診断を受けました。
その後病院での規則正しい食事とリハビリー治療のお蔭で元気になりました。母は自宅に戻りたい希望があったが、2月の札幌は一番寒さ厳しい持期、木造の自宅での生活は無理だと思いリハビリー目的でS病院に転院しました。
 自宅で草花を愛でたり、野菜を育てたり、十勝で農家をしていた母には一番心の安まる時間を過ごしたい希望が強く本意ではないが仕方がない季節の巡りを待つしかないね。
 4月に入り暖かい日が続くようになった。母も季節の移ろいを感じていた「何時まで入院するの?」と言うようになったし私達も感じていた。
担当医の許可を頂き4月4日に退院し自宅に帰ることになった。2ケ月ぶりの自宅です、一番先に行ったのは御先祖をを祭る仏壇に無事の帰還を報告していた、長い間気に掛かっていたのだね。晴れて住み慣れた自宅に戻れました。
自宅に帰れば介護保険のサービスを利用しての生活です。ケアマネさんや介護業者も同席した話し合いで訪門看護師の派遣やティサービスに行くことを提案された、母は渋々施設に行くことを承諾したが本意ではなかった。
ディサービスに行く日の朝、具合が悪くなり訪問看護師を呼んだ「不正脈」があると病院受診を勧められました。 長い間の入退院生活で体の調子が何時もと違う「自宅でのんびりと過ごしたかった」と思っています。
 自宅での生活も思わしくはないもののなんとか過ごしていた。三度三度食事を取って、処方された薬を飲んでいた。
しかし入退院を繰り返した母には体力も気力が残っていなかった、「この病気は何度も入退院を繰り返す」と言う担当医の話の通り5月末に自分から入院したいと言いました、体がよっぽど辛かったのだと思います。
両親ともに十勝に生まれ私達を育ててくれた、小豆や、ビート畑作、農家は忙しかった朝暗いうちから畑に出て夜暗くなるまで働いていた。豚や乳牛も飼って生活していた。
大正、昭和、平成そして令和と4世代を生き抜いた母に今は「ありがとう」と感謝しかない。
両親ともにゆっくり休んでくださいそして私達を空から見守ってと祈るだけです

   令和元年10月 池田 暁


  

2019年08月29日

ここ札幌に住んで50年、新たな生き方を探しながら旅を続ける

家族の介護に明け暮れたここ数年の日々だった。時期は新しい年号令和となった。
アッという間の日々で今年も半年過ぎた、季節が巡り秋を迎える。自然は本当に正直で規則正しい。
春夏秋冬と四季のはっきりした冷涼な気候の札幌は自分には合っている。 そして美味しい食材も沢山ある。

母を見送り肩の荷が下りたと思う反面、心にポカッと空虚感に襲われる
十勝の農家に生まれ豊かな大自然が私達兄弟を育んでくれた、
馬や羊、犬も家族だった、私達は牛乳で育ち学校に行ったのだよ 
新たな自分の道を開拓し前を向いて進みたい
70代に足を踏み入れた小生だが何か仕事を探したいとハローワークに行った、
北海道新聞で国も市も相変わらず障害者枠を充足していないと記事を見たから。
しかし結果は散々だった、視力に障害のある小生、障害者手帳を見て障害者枠に入れたのは良いが
紹介されたのは作業所でした、作業所にはA型作業所とB型作業所があり区役所で認定を受けてください。
体が健康だから何か役立てる仕事をしたいと思ったが制度は難しいものだね。高齢者には
泡食うことはない気長に探せば必ず小生にも出来る役割が見つかると信じています。

健康であれば出来ることです。
妻の介護をしていたときから本当にストレスがあった。
自分なりの解消法はクヨクヨしないで何とかなるから です
そして人には体と心がある:心が病んでイライラするときは考えても結論がでなく空回り、
体をくたくたになるまで使う、運動でぐっすり眠れるよ、体を休めると不思議とリセット出来るもんだよ。
そして朝昼晩の食事が基本だね、食べ物で活力が得られるから、捨てたものではない。北海道には体に良い食材が豊富にある
一日を規則正しい生活を続けることの積み重ねですねで何とかなるね。
もともと体には自然治癒力がある、自分の体は自分でガードしなくちゃならない、
自分の体と対話するとなにか見えてくるよ。

●小生の体験をすこし:今年の1月頃食べたら吐いて吐いて大変だった、
掛かり附の医師に診ていただき胃カメラの検査を受けた→逆流性食道炎で食道が爛れていると診断を受けた。
丁度母の体調が悪く入退院を繰り返したときでした、
:胃腸は心の鏡という介護のストレスで心身ともに弱くなってていたときでした。
治療は胃酸の分泌を抑える薬を飲んで回復しました。
何でも話せる懸付け医師は大事だね。これからも宜しくお願いします。


●小生は道東十勝の浦幌町の農家で生まれた。
何年か前に卒業した小中学校も統合で廃校になった。
先日友人からいただいたパンフレットにうらほろスタイルとあった
故郷を出て何年もなる人口4000人の町で普段は接点はない。
しかし札幌近郊にも沢山の浦幌町に関わる人が住んでいる。
札幌で2年に1度さっぽろ浦幌会が昨年あった。
鉄筋コンクリートの校舎がどうなったか役員に聞いてみた
「凄いことになって発信しているよ」だった
農業林業漁業の町が 今大きく羽ばたいている
詳しくは
《NPO法人うらほろスタイルサポーター》を検索してみてください。
「子供達が希望のもてる町をめざして」 
 








  

2019年08月15日

今日は終戦記念日、74年前のことは知らない。今朝のラジオ深夜便から

8月15日は戦争終結の日です
戦後生まれの小生は実情を知らない
朝のラジオ深夜便で広島で原爆投下を受け被災したNさんの証言が放送された。
大変なご苦労をして戦後を生きぬき、今七宝焼を作りNさんの思いを世界の人々に伝えている。
沢山の人が亡くなり悲惨な戦争をしてはいけない。と伝える当事者も戦後74年たち高齢で少なくなった
今生きる一人一人が思いを受け取り伝えて行く役目を負っている。
Nさんの貴重なメッセージを聞いて大きな感銘を受けました。


小生は2年前に妻を見送った、脳幹出血の病に倒れ命は繋がったが、半身麻痺の後遺症に苦しみ
燕下障害もあり当時の主治医からは「口から食べたら命に関わると」診断を受けた。
命を繋ぐためには経鼻管栄養だった。妻本人は納得できなかったし私達家族にも生きる気力が低下するように思えた
しかし本当に幸運なことに嚥下専門医に出会い診て頂指導を受けて「口から食べることができました」
口から食べることは生きること。
不自由な車椅子生活では有るものの13年もの間命を繋ぐことができました。
●私達の闘病の記録は http://www.peg.or.jp/taikenki/ikeda-3.html に掲載しています


今年高齢の母が亡くなった、担当の医師からは「高齢だから」と言われていたが、
口から食べ物を食べていたときは家族はそうは思えない。
「口から食べているうちは治療を続けてね」と何度もお願いした
育ててくれた母が一日でも長く元気でいてほしい と私達には希望があったから
口から食べ物を食べて栄養を取り命を繋ぐ生きていくために必要な要素 
それは《自分自身で食べること》ができなくなったら役目を終える時期が近いと母は考えお思いを伝えた
私達は思いを受け「育ててくれてありがとう」と静かに見送った

これが小生にとっての思い出あり命題です。《生きることで一番大事なことは口から食べて命を輝かせること》
何年も家族の介護日々に付き合ってきて、肌で感じたことです。
家族が病気になっても寄り添う(介護する家族は)正直言ってただ見守ることしかできない。いくら家族が病気と闘っていても変わってあげることはできない。
しかし側にいると病気の家族の思いが伝わってくる、
自分から生きたい、やり残したことがある との想いがあるうちは蘇る
しかし口から食べることもできなくなり「もう良いよ。十分生きたありがとう 」と
思いが伝わってきたときが命が終わるときでした。

今沢山の家族が病気の家族を見て関わり悩んでいます。
私達家族の思いが少しでも多くの人に伝われば幸いに思います