2013年01月22日
妻のいない休日の過ごし方:介護人も体と心のリフレッシュ
今は寒中だけど心なしか日差しが柔らかい。
妻はショートスティで小生の休日、今日は鍼灸院に行くだけ。
日差しを求めて厚別川河川敷を歩いた。
久しぶりにわかんを付けて歩く。一時間半気温は氷点下だと思うが体中から汗が出る。
団地の直ぐ側にある川だけれど誰もいない。小鳥にレンズを向けたが。
「いやよ」と飛び立っていった。
昨年は妻が入院していたので歩く気持ちにならなかった。
只歩きたかっただけ。以前は山スキーも行ったが体力に自信が無い、一つ一つ確認して余市岳でも行きたいと思っている。
妻の調子が良いのと天候に恵まれることが条件だ。:心のリフレッシュかな
先日、妻の介護保険の認定調査に札幌市から職員が来た。 今は要介護度5だけど
昨年病院に入院中に調査を受けて4→5になった。{経鼻栄養だったから}
でも今は有りがたいことに自分で口から食べている。体の調子も以前と変わらない。
「足が上がりますか・今日の日付は・お名前は等」調査のマニアルは何時も同じ。
一番びっくりしたのは私たちの現状を知らない事だ、同じ役所なのに{利用の状況を知らなかった}
ここにも個人情報保護法案が障害だって。
私たちもこの介護保険があるから妻の介護が出来ている。妻の様子を調査して職員は「病院での調査は介護度が高くなる」
裏の意味を読めば介護度が4になる。
《大事なのは要介護度ではない:妻の機能が回復して少しでも日常生活が出来るようになれば》良いのです。私たちの願いです。
2013年01月11日
命の尊厳に関する記事を読んだ
妻との生活は淡々と過ごしている、訪問リハを増やした。又麻痺手足にはカイロを抱かせている。良いか悪いか良いんじゃない。
正月休みにPDN通信(胃ろうと栄養の情報誌)が届いた。
妻も燕下障害があるのでよく読んでみた。
一昨年90歳を過ぎて亡くなった父も誤嚥性肺炎を起こし担当医から胃ろうを進められた。
私たちには何時も関心のあることになっている。
「命の尊厳」は「胃ろうの是非」ではない。~患者の幸せを考慮した選択を~
胃ろうは本当に口から食べれなくなった時の栄養補給手段としては良い治療だと思っている。
患者本人の負担の軽減・安全性。又介護する家族にも安全に生活が出来る。
今。高齢者の胃ろう増造に延命ではないかと意見が出ている。
この文面には医療者の考えは記載されているが患者本人や家族の思いや考えが抜け落ちている。
●私たち家族が脳障害になったときまで口から食べれなくなったらなんて考えたこともなく知識も無い。大抵は担当医に勧めを受け入れています。
本当に必要なのは燕下専門医に診て頂き{口から食べれるのか難しいのか燕下検査が必要だと思う}
もう一つは{本人が口から食べたい意思があるか年齢や障害の程度に左右される} の2点だと思っている。
●妻は平成15年に脳幹出血に倒れ同様の治療を受けてきたが{食べれるか否かは}
詳細はドクターズネットワーク体験記に記載しています:http://www.peg.or.jp/taikenki/ikeda-2.html
●文面に医療・介護現場では混沌とした状態になっている。そして最終的に胃ろうの造る決断は本人・家族がするとあるが。 当事者は混乱するし充分な判断材料が少ない。又医療現場では燕下リハビリーの専門医が少ない事が一つの原因では無いかと思っている。
私たちは何時も「妻があのとき専門医に診てもらい「ゼリーであれば何とかなるね」の言葉を思い出す」 口から食べれると妻本人満足するし在宅での介護する小生にも負担が少ない。
体の機能は使えば良くなるし使わなければ廃用症候群で使えなくなるんだね。
今の高齢化社会一人でも多くの人が満足な選択をしてもらいたいと願っている。
正月休みにPDN通信(胃ろうと栄養の情報誌)が届いた。
妻も燕下障害があるのでよく読んでみた。
一昨年90歳を過ぎて亡くなった父も誤嚥性肺炎を起こし担当医から胃ろうを進められた。
私たちには何時も関心のあることになっている。
「命の尊厳」は「胃ろうの是非」ではない。~患者の幸せを考慮した選択を~
胃ろうは本当に口から食べれなくなった時の栄養補給手段としては良い治療だと思っている。
患者本人の負担の軽減・安全性。又介護する家族にも安全に生活が出来る。
今。高齢者の胃ろう増造に延命ではないかと意見が出ている。
この文面には医療者の考えは記載されているが患者本人や家族の思いや考えが抜け落ちている。
●私たち家族が脳障害になったときまで口から食べれなくなったらなんて考えたこともなく知識も無い。大抵は担当医に勧めを受け入れています。
本当に必要なのは燕下専門医に診て頂き{口から食べれるのか難しいのか燕下検査が必要だと思う}
もう一つは{本人が口から食べたい意思があるか年齢や障害の程度に左右される} の2点だと思っている。
●妻は平成15年に脳幹出血に倒れ同様の治療を受けてきたが{食べれるか否かは}
詳細はドクターズネットワーク体験記に記載しています:http://www.peg.or.jp/taikenki/ikeda-2.html
●文面に医療・介護現場では混沌とした状態になっている。そして最終的に胃ろうの造る決断は本人・家族がするとあるが。 当事者は混乱するし充分な判断材料が少ない。又医療現場では燕下リハビリーの専門医が少ない事が一つの原因では無いかと思っている。
私たちは何時も「妻があのとき専門医に診てもらい「ゼリーであれば何とかなるね」の言葉を思い出す」 口から食べれると妻本人満足するし在宅での介護する小生にも負担が少ない。
体の機能は使えば良くなるし使わなければ廃用症候群で使えなくなるんだね。
今の高齢化社会一人でも多くの人が満足な選択をしてもらいたいと願っている。
2013年01月01日
新しい年が明けました
今年も始まりました。
天気が荒れると予想していたが気温は低いが曇り、まあまあです。洗濯が出来た。
野菜沢山味噌味の雑煮を造った。餅は小さく切った。妻にも正月の味覚を味わってもらいたかった。
{食べれる・食べられない}は妻本人が決める。
朝からテレビ三昧。これしか無いからしょうが無い。
装具を付けて歩く練習をする。訪問リハの先生と休みの間体重を増やさないでと約束したから
狭い室内10㍍の距離に車椅子をこちらと向こうに並べて歩く、突っ張り棒も役に立つ。
誰に気兼ねをすることも無い、休み休み往復する。両足で立つと安定する。只妻には体の揺れがある。強く出る日だったり出なかったり、その日の調子はいろいろです。
そんなことで寒い時期の室内リハは今年も今日から開始した。
天気が荒れると予想していたが気温は低いが曇り、まあまあです。洗濯が出来た。
野菜沢山味噌味の雑煮を造った。餅は小さく切った。妻にも正月の味覚を味わってもらいたかった。
{食べれる・食べられない}は妻本人が決める。
朝からテレビ三昧。これしか無いからしょうが無い。
装具を付けて歩く練習をする。訪問リハの先生と休みの間体重を増やさないでと約束したから
狭い室内10㍍の距離に車椅子をこちらと向こうに並べて歩く、突っ張り棒も役に立つ。
誰に気兼ねをすることも無い、休み休み往復する。両足で立つと安定する。只妻には体の揺れがある。強く出る日だったり出なかったり、その日の調子はいろいろです。
そんなことで寒い時期の室内リハは今年も今日から開始した。