2005年10月08日
年を取ると言うことは!!
年を取るとみんな介護が必要になるのです
私達団塊の世代の親たちは、70代80代になった。
あんなに元気だったのに、認知症(痴呆症)になった。
呼び方は変えても、年を取った人の起こりうる現象は同じである。
自宅の部屋で小便をこぼす事が多くなった。本人は小便をした意識はなく過ごしている。
認知症に成った親を介護する特別な良い方法は無い。
有るとすると『年を取るとみんな同じ症状に成る』これが自然の流れだと思うしかない。単に自分の意識の中に信じることなのである。
1人
私達団塊の世代の親たちは、70代80代になった。
あんなに元気だったのに、認知症(痴呆症)になった。
呼び方は変えても、年を取った人の起こりうる現象は同じである。
自宅の部屋で小便をこぼす事が多くなった。本人は小便をした意識はなく過ごしている。
認知症に成った親を介護する特別な良い方法は無い。
有るとすると『年を取るとみんな同じ症状に成る』これが自然の流れだと思うしかない。単に自分の意識の中に信じることなのである。
1人
現代は核家族で、認知症になると、自宅での生活は大変困難を極める。 そんな家族を持ってしまったら、1人で抱え込まないで、みんなで支えてあげよう、誰だって認知症には成りたくはない。
流れは2つしかない。
◎常時自宅介護が出来る状態だったら、介護用オムツを使用するしかない。最近はオムツも色々と種類も多く症状に合わせて利用可能である。
◎症状が出てきたら、病院のお世話になるしかない。親を病院に入院させることには、抵抗があるが、仕方のないことである。
介護は自分の心で信じる事である。
永年介護をしている人はこんな言葉を語っていた。
『一番大事なのは介護される人の健康ではない、先ず考えなければ成らないのは、介護する家族の肉体的・精神的健康で有る』
成るほどなあ、小生の頭にはこの言葉が何時も点滅している名言である。
最近感じた一コマです。
流れは2つしかない。
◎常時自宅介護が出来る状態だったら、介護用オムツを使用するしかない。最近はオムツも色々と種類も多く症状に合わせて利用可能である。
◎症状が出てきたら、病院のお世話になるしかない。親を病院に入院させることには、抵抗があるが、仕方のないことである。
介護は自分の心で信じる事である。
永年介護をしている人はこんな言葉を語っていた。
『一番大事なのは介護される人の健康ではない、先ず考えなければ成らないのは、介護する家族の肉体的・精神的健康で有る』
成るほどなあ、小生の頭にはこの言葉が何時も点滅している名言である。
最近感じた一コマです。
Posted by ikeda49 at 04:09│Comments(1)
│年を取ると言うことは
この記事へのコメント
こんにちは。久しぶりに拝見させていただきました。今回は「介護」に関することでしたが、我が家(実家)には97歳の曾祖母がいます。最初は祖父母や私の母が介護をしていましたが、療養型病院で老人ホームの空きを待ちつつ、現在は特別養護老人ホームにいます。理由はやはり、家族だけでは介護することができなくなったからです。祖父母は精神的、肉体的に疲れ果ててしまい、どうしようもない状態になってしまいました。そのような状況を目の当たりにし、私自身も年を取り、いずれそのようになるのなら、自分の家族に迷惑をかける前に自分は死んだ方が良いのかもしれない・・・と考えてしまいます。スウェーデンのように国民に等しく収入の約6割もの凄まじい税金を課し、福祉国家として、国が死ぬまでほぼ無償で面倒を見てくれるというのなら話は別ですが、間違いなく国の経済力は下がります。アメリカのように介護・医療ですら「カネ」次第というのも不平等であり非常に問題です。しかし、費用が膨れ上がっている日本の中間的な制度も良いとは言えません・・・。いったい何が良いといえるのかわかりません。
Posted by ゲスト at 2005年10月09日 06:36