妻は毎日進化しています

ikeda49

2005年11月11日 06:02

昨年では考えられないことです

昨年11月、口から食べることが出来ない(食べると誤嚥性肺炎になるby担当医)
納得出来なくて転院をした

1年経って自分で食べるまでに回復した。
食べることえの経緯は小生の体験談に書いた

http://www.peg.ne.jp/taikenki/ikeda.html

食べれるようになり、意思の疎通・機能の回復・等機能は見違えるように回復した。
しかし、よくなれば欲もでる物である、麻痺した右手右足が回復するのではと思い観察すると、その予兆がある。
 妻は今でも病院におります、病院にいる限りこれ以上のリハは難しいのかもしれない。
今真剣に自宅介護を検討しております。

私に指針を与えてくれたのは、同じ脳幹出血で受傷して自宅でリハを続けている『QちゃんのHP』を見たからである。Qちゃん有難う、そしてがんばれ!!

詳しくは次のページ
QちゃんのHPを見て、衝撃を受けた
それはつまり彼自身の体験だからである

妻は最初に入院した脳神経外科病院では『機能の回復は受傷から3ケ月は回復するがその後は固定する』と宣告されている。

しかし、この1年の回復は、全く医師の言葉とは違っていた。それは妻の出血の場所が『脳幹で大脳は損傷をうけず、考える力、記憶する力が残っている』為なのかもしれない。 しかし、そんなことは何でも良い良くなればOKです。
将来、まだまだ回復の見込みがあると言うことなんだ!!
私は今思っている、障害を受けたことを後悔しても仕方がない。
いかに前向きに、自分の機能を回復し、社会に貢献するかである。

妻の趣味は編み物であった、病院に持参したしかし、病院では危険だからと編み針を取り上げた。之じゃリハをしたいと思っても出来ないじゃないか。
塗り絵は直ぐ塗ってしまう、今は折り紙をしているが、大変退屈している:病院は時間を無駄に使い、機能を退化させて寝たきり患者を造るところだ。
(ゴメンネつい書いてしまう、今の医療行政では仕方ないのかもしれないね)

妻が、将来ブログでメッセージを送れるように、このコンピューターを利用して(道具として)自分の体験を妻自ら発信することが目標です。
良い名案があれば、受け付けます教えて下さい。
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