介護は1人ではないんだよなぁ

ikeda49

2007年03月10日 22:51

最近介護での事件が多くなってきた。
先日も認知症の妻が脳障害の夫を殺して自分も死のうとした、しかし、死にきれなかった。
こんな事件ばかりでやりきれないなぁ。 

私も妻を介護しているのだ、介護が楽しいことはないが、苦楽を共にしてきた夫婦や家族であれば誰もが「自宅で介護を」考えるんじゃないのかなぁ。
極端な言い方かもしれないが、長期の入院では回復は考えられない。見込めないんだ。
(私が4年の間妻の発病~病院に入院しその後自宅で介護しながら得た結論なんだ)
(生きる意欲が衰えるんだ、本人の気力が落ちるとどんな高度な治療を施しても回復は無理じゃないのかなぁ)
沢山の人が介護をしているんだよ。せめて悲しい事件ではなくほのぼのとした生活も報道して欲しいものだ。


妻の場合も同じだ。
最初に運ばれた脳神経外科では、意識が戻らないかもしれない、意識が無ければリハビリーをしても効果は少ないと。
みんな宣告されるみたいだ。そこからはいあがっているんだよ。





私達の場合は幸運だったのか、いろいろと面倒を見てくれた先輩の介護者や専門の医師に出会えたんだ。
市内のIMさんから(先日PTED(食道ロウ)からの漏れを話したら、心配して介護食や衣類を送ってきた)有り難いことだ。




(昔はよくゼリーを食べた、今は普通の食べ物でもいけるんだ)
介護に終わりはない、
「介護で一番大事なのは介護する人の健康だよ、介護される病人はその次だよ」この言葉は10年間認知症の奥さんを自宅で介護している友人の言葉だ。
しかし、のめり込んではいけなし、家庭の状況は個人差だけれど、私は介護の仕事に転職してと考えている。 
仕事ならば一生懸命しなければならない。頑張りすぎてもいけない、過去を考えたり未来を考えすぎて病気になったら元も子もない。毎日、毎日こなしていくだけなんだ。
必ず悩んでいる仲間がいるし、神様も四面楚歌じゃなく必ず解決策を残してあると信じている。




今日の妻はディサービスに送ってくれたセーターを着ていった。
何時も、帰宅するとなんだかんだと私に施設での様子を報告してくれるが、今日は{黄色いセーターを話題にしてくれたと嬉しそうに話してくれた」


私たちが毎日生活しているのは、沢山の人の世話になりながら暮らしているんだ。
社会が悪いのか人の心が荒んできたのか、家庭内の事件や凶悪な事件が多いなぁ。
人様のことを考える余裕はないんだけれど、私達介護をする家族も恩恵を受けるばかりじゃなくて社会に貢献する役割があるんじゃないかなぁ。
何をするかを見つけるために生き甲斐も出てくるんじゃないかなぁ。

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