バンザイ退院出来た

ikeda49

2007年11月27日 12:02

脊柱管狭窄症が原因だったんだ。
痛い・痺れる・歩けない・椅子にも座れないそして自転車まで乗れなかった。
5年前にI整形外科で「脊椎が狭くなっていて神経に触っている」と言い渡されていた、小生の腰もついに限界を迎え末期的症状であった。
いつも行く鍼灸医院のI先生に「しびれは手に負えない」と見放された。
しかし、I先生は救いの手を差し伸べてくれた。今回入院した整形外科のO先生を紹介してくれたのだ。
O先生はX線・MRIや造影剤の画像を見て、「脊柱の狭くなった3番と4番、4番と5番」箇所を解放しないと良くならないよと説明してくれた。
当然薬物療法ではダメですかと聞いたが返事は「ダメダね」

説明はお聞きした小生が覚悟を決める番だった。期間は1週間の猶予を頂いたが小生は楽になりたかった





手術後の髄核を見せてくれた、心臓強く「記念に下さい」と言ったが断られ、せめて写真に納めた。これが神経の通りを狭めていた原因なのだ


入院してみて驚いた。苦しんでいたのは小生だけでは無かった。全道から専門医を頼って来ているんだ。
同じ様な病気もあるが頸椎狭窄や股関節脱臼、手や足の骨折等様々な困難に出会った人達が良くなりたくて入院していた





小生の事を書こう:この山が赤や黄色に染まっていた頃入院した。
手術は全身麻酔で全く解らず気が付いたら病室のベットの上にいた。
時間を聞いたら2時間半位の間だった、「痛くないですか・寒くないですか・気分は悪くないですか」の看護士さんの声に小生は別なことを感じていた。
以前の足の痛さや痺れは感じなかった、良かった成功したんだ。
そして術後2日目で歩くことが出来た、やはり痛さはない「良かった・良かった

術後4週間目に退院出来た、嬉しかった有り難かったよ。そしてO先生を始め皆様に感謝します、新しい命を与えて頂いた、これで又本業の妻の介護を出来る。
退院して直ぐに妻を預けている老健に向かった




ベットサイドには11月のカレンダーが張ってあった。月末になってしまった



藻岩山の望める空気の澄んだ場所だが妻は滅多に外に出ることは無い。小生の腰が落ち着くまでもう少しの辛抱だ、日常生活でリハをしよう。又入院はごめんだ。


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